プリンセスプリンセス『M』奇跡の出会いが生んだ失恋ソング

 

愛にまつわる曲を紹介していくこのブログ。

今回はプリンセスプリンセスの大名曲『M』を紹介します!!

 

解説する必要のないくらい知名度抜群の名曲ですよね。

イントロの「タララ タララタララタララタン♪」というピアノの音を聴いただけで「キタコレ!!」ってなる人も多いのではないでしょうか?(笑)

完璧なメロディーラインと伸びやかでパワフルな岸谷香(奥居香)の声。

季節が何度変わっても、リスナーの心を立ち止まったままにしてしまう曲ですね。

能書きはこれくらいにして、
曲を聴きましょう、詩を読みましょう!

M 弾き語りver 【岸谷香】

『M』

作詞:富田京子

いつも一緒にいたかった
となりで笑ってたかった
季節はまた変わるのに
心だけ立ち止まったまま

あなたのいない右側に
少しは慣れたつもりでいたのに
どうしてこんなに涙が出るの
もう叶わない想いなら
あなたを忘れる勇気だけ欲しいよ

You are only in my fantasy
今でも覚えているあなたの言葉
扉の向こうに見えた景色さえも So once again
Leavin’ for the place without your love

星が森へ帰るように
自然に消えてちいさな仕草も
はしゃいだあの時の私も

いつも一緒にいたかった
となりで笑ってたかった
季節はまた変わるのに
心だけ立ち止まったまま

出会った秋の 写真には
はにかんだ笑顔がただ嬉しくて
こんな日がくると思わなかった
瞬きもしないで
あなたを胸にやきつけてた恋しくて

You are only in my fantasy
あなたの声聞きたくて
消せないアドレスMのページを
指でたどってるだけ So once again
Leavin’ for the place without your love

夢見て目が覚めた
黒いジャケット後ろ姿が
誰かと見えなくなっていく So once again
You are only in my fantasy

星が森へ帰るように
自然に消えて ちいさな仕草も いつまでも
あなたしか見えない 私も

 

リアルで率直な失恋した女の子の気持ちが描かれていますね。

素晴らしい思い出によって、余計に辛くなる。

別れてから時間は経っているのに、まだ前を向けない気持ちを歌っています。

 

作詞したのはドラムの富田京子さん。

富田さんが当時付き合っていたMというイニシャルの男性との恋愛を描いたのが『M』。

実体験をもとにした歌詞なんですね。

奥居香さんの家で富田さんが大泣きして酒を飲んでいたら、奥居香さんが「Mのことを書いたら?ヒットさせて見返そうよ!!」「コンビニに入った時に流れてきたらグッとくる曲にしよう」と勧めて、富田さんは思いのたけを書き殴りました。それを奥居さんが綺麗に詩の形に整えて、曲をつけたんです。

曲に出てくるMさんはもちろん歌のことを知っていて、ライブにも来ていたみたいです。
富田さんの話では、十分すぎるくらいに仕返しができたみたいですよ(笑)

 

『M』は今でこそ有名な曲になりましたが、最初はバンドの方向性と違うという理由でお蔵入りになる可能性もあったのだとか。
そのせいかプリンセスプリンセスの初のミリオンセールスとなった『Diamonds』のカップリング曲として収録されたんですよね。

こんな名曲がA面のシングルになってないなんて、なんて贅沢・・・!!

 

プリンセスプリンセスは日本でもっとも売れたガールズバンド。

名曲がたくさんあります。

『M』のほかにも、『Diamonds』『ジュリアン』『世界でいちばん暑い夏』『OH! YEAH!』などたくさんあります。

 

活動期間は1983年~1996年。
東日本大震災をきっかけに期間限定で再結成されて、2012年~2016年。

長いんですよね。

これだけ実績を残してきたバンドなので、きっとメンバーは学生時代からの知り合いで仲が良いのだろうと思われるかもしれませんが、実は全然違うんです。

 

1983年に楽器ごとのオーディションで集められた5人を、事務所が「お前ら今日からアイドルバンドをやれ」と強制的に組ませたのが始まり。最初は「赤坂小町」というバンド名を付けられました。

しかも事務所はメンバー全員を同じ寮に住まわせて共同生活をさせました。2年以上も共同生活は続きます。

メンバーどうしは赤の他人で、友達でも何でもない。ただ音楽がやりたくて芸能界に入った女の子たち。
最初は楽器もたいして弾けなかったし、作詞作曲も手探り状態。プロのテクニックなんて知りません。

素人同然の10代の女の子たちが初めて顔を合わせて、いきなりバンドを組むことになったんです。
めちゃくちゃですね。

 

赤の他人の女の子たちが共同生活を始めたんだから、当然衝突もあったようですが、
「自分たちでオリジナルの曲を作るんだ!!」というプロ根性はみんな持っていたので、真面目にバンド活動に専念していました。毎日バンドの練習と曲作り。

プロ根性の強い5人だったので、事務所から無理やりアイドルをやらされることに反発し、折り合いが悪くなって移籍。

1986年、新しい事務所に入って、バンド名をプリンセスプリンセスにしました。

そこでもうまくいかず、さらに事務所を移籍し、1988年になってCMのタイアップをきっかけにようやく売れました。

強制的にバンドを組まされてから、すでに5年が経っていました。

 

その後『Diamonds』が爆発的なヒット。
1989年の年間セールスの1位と2位をプリンセスプリンセスの楽曲が獲得。日本の音楽界の頂点に立ちました。

この頃のことをギターの中山加奈子さんは「自分たちは何も変わってないのに、周りが全部変わってしまった。ここで勘違いしてはいけない。舞い上がっちゃいけない。これは特別なことなんだ。ライブだけしっかりやって土台を固めないととみんな思っていた。」と語っています。

「舞い上がりそびれちゃったから、舞い上がっておけば良かった。」とも言っていました(笑)

 

苦楽を共にした彼女たちの絆はとても深くなりました。

解散から15年経った後も根っこで固く繋がっている彼女たちの信頼関係は崩れず、大震災のチャリティー活動のために再結成することに全員がすぐに合意。

一人一人だと数十万円しか寄付できないかもしれないけど、5人ならもっと大きな力になれる。

そう考えて再び集まることになりました。

結果、プリンセスプリンセスはチャリティーライブで得た収益金5億円を寄付。

そして役割を終えたバンドは再び解散しました。

 

私は思うんですけど、プリンセスプリンセスは奇跡のようなバンドだったんじゃないかと。

無理やりくっつけられただけなのに、作詞・作曲ができるメンバーがたまたま何人もいて、みんなプロ根性も持っていて。深い絆で結ばれ、共有の価値観まで持てたんです。

こんなことってあるんでしょうか?

奇跡の出会いですよね。

『M』もそんな奇跡が生んだ名曲なんだと思います。

 

 

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